教え子の結婚式に呼ばれた朝、
コーチが思い出した「最初のラリー」
朝、郵便受けに、白い封筒が入っていました。
宛名の字を見て、すぐに誰のものか分かりました。
3年間、ただのテニス仲間だった2人からの、結婚式のご招待でした。

30年テニスを教えてきました。途中の何年かは、大手のテニススクールに所属していて、そこで何百人もの生徒さんと出会いました。教え子から30組以上が結婚していくのを、コートの脇で見届けてきました。
その中で、いちばん不思議だったのが、この2人でした。
このコラムは、その2人の結婚式の朝に、私が思い出した「最初のラリー」と、披露宴の最後に新郎がマイクで言ったこと——その帰り道に考えた、コートと縁の話を書きます。
「ご招待状」が、ポストに入っていた朝
朝、ポストを開けたら、白い封筒がありました。
厚みのある、いい紙でした。宛名は手書きで、いつもラケットを握っていた、あの方の字でした。「あ、ついに、来たんだな」と、私は声に出して言いました。
「ついに」と言ったのは、私はこの2人を、3年以上、コートの脇で見続けてきたからです。3年と数ヶ月。同じスクールで、毎週土曜の同じクラス。でも、3年間、ただの「テニス仲間」でした。
封筒を開けると、披露宴の招待状が入っていました。「コーチがいなかったら、私たちは絶対に出会っていません。当日は、ぜひコーチにもラケットを振ってもらいます」と、添え書きがありました。
「コーチがいたから出会えた、と言ってもらえることは、30年で何度かありました。でも、この2人の言葉は、いちばん不思議に響きました」— あつしコーチ
不思議に響いた理由は、3年間、私はこの2人を「くっつけよう」と思ったことが、一度もなかったからです。
3年間、ただのテニス仲間だった2人

仮に M さん(当時33歳・男性)、Y さん(当時34歳・女性)としましょう。
M さんは仕事終わりの土曜午前の中級クラスに通っていました。Y さんは、たまたま同じ時間に転入してきた方でした。2人とも、独身でしたが、お互いに何の興味も示していませんでした。
これはとても大事な観察です。「3年間、何もなかった」のです。
- クラスでペアを組むことはありました。でも会話は「お願いします」「ありがとうございました」レベル。
- レッスン後の片付けで、ボールを集めながら一言交わすことはありました。でもそれだけ。
- 飲み会のお誘いは、月に1回くらいスクール内であるのですが、どちらかが必ず断っていました。
3年経っても、お互いの仕事も住んでいる場所も、ほとんど知らないままでした。傍から見ていて、私もこの2人は「ただの顔見知り」のまま終わるんだろうな、と思っていました。
「テニスサークルやスクールでは、3ヶ月で『付き合った』『別れた』が見えるカップルもよくいるんです。3年も静かに横にいる2人は、たぶん、ずっと横にいるだけで終わる、と私は思っていました」— あつしコーチ
4年目の合宿で、起きた本当に小さな変化
変化は、4年目の春に来ました。スクールで合宿があったのです。
合宿といっても、近郊のテニスコートで朝から晩までラケットを振って、夜は近くの宿で集まってご飯を食べる、というだけのものでした。M さんも、Y さんも、参加していました。2人とも、何年も合宿に出てきたタイプではなく、その年、たまたまそれぞれが「行ってみようかな」と思った、と聞いています。
2日目の朝、コートで練習が始まる前のことでした。Y さんが、コートの隅で1人でストレッチをしていました。M さんが、ボール籠を運びながら、その横を通り過ぎようとして、「あ、すみません」とぶつかりそうになって、止まりました。
その「あ、すみません」のあとに、M さんが何を言ったのか、私は離れていてよく聞こえませんでした。でも、Y さんが 少し笑った のは見えました。それまでの3年間で、Y さんがコートで笑ったところを、私は片手で数えるくらいしか見たことがありませんでした。
その日のお昼ご飯のとき、2人が同じテーブルの隣同士に座っていました。誰かが配置したわけではなく、自然にそうなっていました。テーブルを挟んで向かい合うのではなく、横並びに座っている2人を、私は遠くから見ていました。
30組見届けてきた中で、いちばん不思議だった理由

その合宿の半年後、2人が付き合っていると、コートで人伝に聞きました。「えっ」と、本当に声に出したのを覚えています。それくらい、それまでの3年間、私の中ではこの2人は線でつながっていませんでした。
30組以上、コートから結婚していった人たちを見てきて、この2人がいちばん不思議だったのは、「3年すれ違っていたのに、4年目で突然つながった」という、その時間の使い方でした。
多くのカップルは、もっと分かりやすい流れで縁ができていきます。ペアを組んで意気投合する。飲み会で隣に座る。LINEを交換する。これは「3ヶ月から1年」のスピード感です。
でも、M さんと Y さんは、「3年すれ違って、4年目に出会い直す」という、まったく違う時間軸でした。
「3年間、ずっと同じコートにいたのに、4年目に初めて出会った、みたいなんです。すれ違いではなくて、たぶん、それまでの3年間の蓄積が、4年目のあの一瞬を支えていたんだと思います」— あつしコーチ
同じコートに、ただ3年いた。それだけです。「同じ方向を見て、隣でラケットを振ってきた」時間が、3年。これが、何かを準備していたんだと思います。
結婚式の最後、新郎がマイクを取って言ったこと
結婚式は、初夏のある土曜日でした。
披露宴の終盤、新郎の M さんがマイクを取って、ご両親への手紙の前に、こう言いました。
「Y さんとは、3年間、同じコートにいました。でも、3年間、何もありませんでした。本当に、何も。私たちは、当時のあつしコーチに教わって、ただ並んでラケットを振っていました。
4年目の合宿で初めて、私たちは『あ、一緒にいると楽だな』と気づきました。それは、3年間並んで、同じ方向を見てきたから、たぶん、できたことです」
私は、後ろのテーブルで、思わず下を向きました。「コートで縁が生まれる」というのは、こういうことだったんだ、と、30年やってきて、その日いちばんはっきりと、思ったからです。
その後、Y さんもマイクを取って、こう続けました。
「3年間、私たちはお互いに、特別な人ではありませんでした。でも、コートに行くと、必ず会えるのが彼でした。それが、すごくありがたかった、と、いま思います」
会場の空気が、すこし、揺れました。
コーチが結婚式の帰り道で考えたこと

その日の帰り道、私は1人でゆっくり駅まで歩きました。
頭の中で、いろいろなことを考えました。
テニスのコートで、何が「縁」を作るんだろう、と考えていました。私は何百人も生徒を見てきました。3ヶ月で結ばれる人もいれば、3年すれ違って4年目につながる人もいる。共通点は、「同じ方向を、長く並んで見ていた」ことかもしれない、と、その日に初めて思いました。
本記事の監修者でもある R が、いつも「横並びの居心地」という話をします。バーのカウンター、公園のベンチ、ジェットコースター、そしてテニスのダブルス。「同じ方向を一緒に見ている」場所には、不思議な親近感が、ゆっくり積もる、という話です。
M さんと Y さんは、まさにこれだったんだ、と思いました。3年間、向かい合ったことは、たぶん一度もない。ずっと、同じ方向を見て、ラケットを振っていた。それが、4年目のあの瞬間に、はじけたのです。
「アプリで2時間向かい合って判定する100回より、コートで3年同じ方向を見て過ごす1回のほうが、強い縁を作ることがある——30年で、何度も思ったことです。M さんと Y さんで、もう一度それを確信しました」— あつしコーチ
もうひと組、ついでに書いておきます
M さんと Y さんとは別の組で、似た時間軸で結ばれた方が、もうひと組います。
こちらは中級クラスで2年同じだった K さん(当時37歳・男性)と H さん(当時35歳・女性)。2人とも長く独身で、お互いに「テニス仲間以上には絶対ならない」と公言していたほどでした。3年目の夏、スクールの行事ではなく、偶然、別の街のテニスコートで、それぞれが別の用事で来ていた時に、再会したのがきっかけでした。
「いつものコート以外で会うと、ぜんぜん違う人に見えた」と、後で H さんは笑って言っていました。場所が変わると、3年同じコートにいた相手が、初めて『その人』として見える——これも、私にとっては不思議な、コートの縁の話でした。
30年見てきた、ひとつのまとめ
このコラムは、ノウハウを書く記事ではありません。何回会えばいい、とか、何ヶ月で判断しよう、とか、そういう話ではない。「同じ場に、長くいる」ということが、どれだけの準備をしているか、という話だけです。
30年見てきて、コートから結婚していった30組以上の中には、3ヶ月で出会った人もいれば、3年すれ違ってから出会った人もいました。スピードはぜんぜん違う。共通していたのは、「同じ方向を、並んで見ていた時間」がどこかにあった、ということでした。
これは、いまの婚活アプリの作りとは、たぶん逆向きの考え方です。アプリは「短期で、向かい合って、判定する」。コートは「長期で、横並びで、ただ並んでいる」。どちらが優れている、という話ではありません。「縁の生まれ方」が、まったく違うだけです。
Love All Tennis という新しい場を、いま品川で立ち上げようとしているのは、その「横並びで、ただ並んでいる時間」を、東京の真ん中に一つ作りたいからです。3年すれ違って4年目につながる、みたいなことが起こる場所を、もう一度、自分の手で作ってみたい。
結婚式の朝に届いた、あの招待状を、私はいまも机の引き出しに入れています。「コーチがいなかったら、私たちは出会っていません」と書いてあった、あの一行を、ときどき読み返します。
30年、コートに立っていて、よかった、と思います。
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テニス指導歴30年・独立プロコーチ。教え子から30組以上の成婚を見届けてきた現場の観察を基に、Love All Tennis のコラムを綴っています。本記事は当時のスクール所属時代の実体験に基づき、登場人物名は仮名としてあります。